シンガポールの都市マネージメント

100年前の倉庫をリノベして昨年オープンしたというThe Warehouse hotel。 このシンガポール河沿いは、ウォーターフロントを活かして、商業と住宅、さらにアミューズメントまで整備されていて、とても魅力的なエリアになっていました。 シンガポールは管理社会で息がつまると表現する人もいますが、都市をマネージメントする発想で、古い建物を活用しながらの都市計画は、人工的に偏らない程よいバランス感覚を感じます。日本のニュータウンにある、つまらなさ、退屈さはありません。

日本の街づくりのベースにあるのは、数値化出来る公共貢献しか評価しないこと、公共空間で商売することを否定することで、そこに都市マネージメントという発想がないことです。公共貢献とは、市民が集まり、賑わい、憩い、楽しめる場を創ることで、そこには官民の境界は不要で、民間の力を利用してそのような場を作れるのではないかと思います。

戦後20年で復興した日本を評価していた建国の父リー・クワンユーは、マレーシアから捨てられたシンガポールを数十年間で豊かで綺麗な国に変貌させたわけですが、少なくとも都市マネージメントに基づく街づくりでは、今や日本が学ぶことは多いのではないでしょうか。

シンガポール河を下るとマリーナベイサンズ

 

今年の研修旅行はシンガポール

今年の研修旅行はシンガポールでした。

昨年同様Airbnbで借りた家は閑静な住宅街にある5ベッドルーム、3バスルームで、なんどプール付の家でした。スタッフ全員で泊まれ、リビングルームを共有できるのがAirbnbのいいところです。しかも安い!

街を感じるには歩くのが一番!ということで、毎日18km程歩きました。シンガポールはチャイナタウンをはじめ、リトル・インディア、アラブ・ストリート等民族の街があり、それぞれに個性があり街のスケールも歩くには丁度いい広さです。

シンガポール料理は海南鳥飯、バクテー(肉骨茶)、チリクラブなど満喫しました。

森の中のカフェで朝食

バクテー(肉骨茶)で有名な店で

海南鳥飯をフードコートで

重ね地図でみる江戸時代の東京

私がいつも行っている散髪屋さんは今年で200周年!つまり1818年文政元年創業であることを昨日知りました。現在も営業している理容室では最古だそうです。今の店名はアルファベットで、庶民的な価格なので、そんな格式ある理容室とはつゆ知らず通っていました。
東京は戦争で建物は焼失し、街並みの歴史性は分断され、現代に生きていると江戸時代のレイヤーの上に現代のレイヤーが重なっていることを忘れてしまいますが、東京には江戸時代から続く庶民の文化があることを気付かされた次第です。
昨年から浅草橋や蔵前などの下町での仕事が増え、江戸時代はどんな所だったのだろうという興味が湧いて来て、江戸時代と現代の地図を重ねて見る地図を購入し、調べ始めています。その結果、今計画中のホテルは有名な武将の屋敷であることが判明しました。この歴史をデザインに生かせないかと考えているところです。
江戸時代の地図を見ていて面白いと思ったのは、日本橋から銀座、新橋まで庶民の街が南北に連続し、その両側が運河を挟んで武家屋敷でサンドイッチされていたということです。武家に必要な職人や商品を扱う庶民の街がすぐ近くににあった方が便利。また、万一の防犯対策として庶民の街との間に運河を設けたということでしょうか。そう考えると、都市計画的な視点が垣間見れます。
残念なのは江戸時代の水路の多くが無くなったり、高速道路となっていることです。門前仲町付近の地図をみると今からは想像もつかないほど、水路が張り巡らされています。どんなウォータフロントだったんだろうと空想が広がります。
今東京の街は水辺に対して裏を向けていて、とてもつまらない水辺空間となっています。オリンピックがそれを変えるきっかけになれば良かったんでしょうが、もう間に合わないですね。しかし今後へ時間をかけても水辺の再生をしていくべきでしよう。

重ね地図(東京時代MAP大江戸遍)。中央のグレーの上が日本橋。下が銀座

江戸時代の門前仲町付近。右下に富岡八幡宮が。

初めてのロシアはウラジオストク

初めてのロシアです。
いきなり成田からプロペラ機に乗るとは予想もしてなかったのですが、ボンバルデイアは主翼が機体の上にあるので、どこからも景色が眺められるという利点があります。ジェット機だと2時間のフライトが3時間。 アジアでヨーロッパを感じると言われるウラジオストクは、ヨーロッパとまではいかないまでも、アジアのサンフランシスと言われるように、街全体が起伏に富んでいて、街の至る所から海が見えます。それほど期待していなかっただけに、より魅力的な街に思えます。そして、想像よりも生活レベルは高そうです。

街のメインストリート

小さく商品も少ないが、建物は立派な百貨店

海へと向かうプロムナード

街の隣にリゾート地という雰囲気

街を踊りながら進む女性グループ

プーチン大統領が数年前のAPECに合わせて作らせた斜張橋(金角橋)はとても巨大で、街のシンボルにもなっています。

街を横断する斜張橋(金角橋)

街の一番高い丘から金角橋をみる

街を走る車はほとんどが日本の中古車で、土建屋のトラックや幼稚園バスが日本語の表記のまま走っているという不思議なことになっています。

車は日本車が多い。渋滞は相当ひどい

日本語のまま乗っているトラック。運転手が出て来てジャパンを連呼

ウラジオストク駅はシベリア鉄道経由でヨーロッパに向かう出発点でもあり、逆に極東の終着駅でもあります。小ぶりですが帝政ロシア時代の雰囲気を色濃く残したデザインは、旅情をそそります。モスクワまで5日シベリアを走り続けるそうです。ちなみに飛行機でも8時間かかるそうで、改めてロシアの国土の広さを思い知らされます。

星のやとアマン

先日中国のクライアントが来日し、軽井沢の星のやと丸の内のアマン東京に宿泊した関係で、二つのホテルを体験する機会がありました。

軽井沢の星のやは、建築、ランドスケープ、照明ともにデザイナーは知人ですが、見学会に参加して以来、初めての宿泊となりました。

周知のようにレセプションはホテルとは離れたところに設け、黒の日産キューブに乗り換えて林の中を抜けてホテルの客室に移動。この手法はプーケットやバリで一般的な手法ですが、軽井沢の場合、チェックイン時以外の移動は公道を走る点で、少し興ざめでした。しかし、水の静と動を生かしたランドスケープは素晴らしく、客室の数がもう少し少なければ集落というコンセプトが更に生きたように思います。

緑と水と光があふれるレセプション廻り

緑と水と光があふれるレセプション廻り

私も以前10棟のヴィラが点在する24室のホテルの設計の経験があります。しかしながら、実施設計が完了し、確認申請もおりた段階でリーマンショックが起き、着工出来なかった苦い思い出があり、日本におけるヴィラ形式のホテルがどのように展開されていくのか大変興味があります。

星のやに宿泊し、やはりアマンを意識せざるを得ませんでした。私がアマンの手法に感心するのは、アメリカのホテルチェーンのように、自国のホテル文化を押し付けない点です。確かに、世界のどこに行っても同じような空間とサービスは安心感がありますが、ホテルと地域は隔絶されています。バリのアマンダリを訪れた時、近所の子供達が民族楽器の練習をしていて、建築はまさにバリ様式そのもの。この場所が最高級のホテルであることを一瞬忘れるほど、地域と繋がっていたことに感銘を受けました。それは空間やサービスを売るということだけではなく、「体験を売る」という基本姿勢が、必然的に地域とホテルが繋がることになっているのではないかと想像します。

建築のデザインについても、場面が展開していくシークエンスの作り方にいたく感心したのですが、デザインが前面に出ることはなく、利用者がくつろげるよう周到に計算されていることに気付かされます。「どうですか、私がデザインしたこの空間は素晴らしいでしょう!」というデザイナーの押し付けがましさが無いのです。自然と受け入れられる素晴らしい空間を体験することができます。

アマン東京は、アマンが実践してきたそんな世界各地のリゾート地にあるホテルではなく、初めての都市型ホテルのフラッグシップとして位置付けされているようです。

シャトルエレベーターでレセプションのある33階に上がると、暗めのモノトーンの石と白木(私には伊勢神宮の白木をイメージさせました。)で、見上げれば吹抜けの壁面は和紙の柔らかな光が包みます。一瞬にして日本文化のエッセンスを現代的に表現されていることに気付きます。

縁側と称するラウンジをカフェを区切る通路

縁側と称するラウンジとカフェを区切る通路

客室も白木をメインに使ったとても落ち着く空間でした。

客室は白木と障子で空間を構成

客室は白木と障子で空間を構成

奇しくも、同じ大手町に星のや東京が建設中です。部屋数は同じ84室のようです。日本ブランドとして世界戦略を図る星のやが、どのような都市型ホテルをつくるのか興味がつきません。

東泰規

北京の大学でワークショップを行いました。

1月19日北京の中国人民大学芸術学院(芸術学部)で授業を行いました。

日本で企画している地方の衰退が著しい温泉街を現代アートで活性化するプロジェクトの延長として、色彩で町並みを整備し活性化させる、というテーマで、社会人学生を中心にワークショップを行いました。

日本の食や民家、工芸品など、日本では伝統的にはナチュラルな素材が色彩を構成していることを説明したあと、周辺の自然環境の写真もみてもらい、中国人からどんな提案が出るか興味津々でした。

衰退著しい町を活性化させるには、現代アートを使った派手な客室や温泉にしないと活性化なんて出来ない!戦略が必要だ!、という中国人らしい?アグレッシブな提案に対して、そんな気持ちが休まらないような所には行きたくない!、という反論が続出したのには少し驚きました。その学生達の提案は落ち着いた色彩を基調にアクセントポイントとしての色も驚くほど控えめでした。

中国の高鉄(新幹線)の名前は“和谐”。日本語では調和という意味です。前中国政権の志向する意味は少し異なるかもしれませんが、豊かになった中国では行列に並ぶことも普通になりつつあり、少しずつ国民の意識も変わりつつあるようです。

東泰規

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賑わいづくりの天才

昨日恒例の築地市場においてマグロの初競りがあり、今年もすしざんまいを運営する喜代村が451万円で落札し、あらゆるメディアで取り上げられました。2年前の1億5540万円からするとずいぶん落ち着いた金額となりましたが、この2年前の初競りが海外メディアが取り上げるきっかけとなり、今や世界に発信する日本の新春のイベントとなった感があります。昨年日本への来訪者がようやく1300万人を超えましたが、築地に行くと外国人の多さに驚きますし、築地の存在がかなり貢献しているのようにも思います。

喜代村が築地場外にすしざんまいを出店したのが2001年です。当時築地を訪れる人が減少するなかで、いきなり年中無休、24時間営業の店を出店したのですから、この発想に驚きます。しかも、いまや築地場外だけで9店舗もすしざんまいがあります。同じ店舗が軒を並べるという発想も一般人の常識を覆すもので、喜代村の木村社長は賑わいづくりの天才と言えるかもしれません。

木村社長と案を練った豊洲新市場に隣接して計画される千客万来施設が、昨年東京都の事業公募で採用され、豊洲の賑わいづくりの為に様々な検討を進めています。豊洲は築地とは対照的に、人工的に計画された近代的な市場であり、築地場外のようなカオス的な魅力が無いから絶対失敗する、と指摘する方もいます。確かに普通に考えればあの単調で巨大で雑駁な街に、築地場外の賑わいを創り出すのは極めて難しいでしょう。しかし、木村社長の発想は、商品を媒介とした売る人、買う人の丁々発止が市場本来の魅力であり、これが生まれるような店づくりをして行けば、必ず人が集まってくるという点にあります。大型スーパーなどで失われてしまった商売の原点が市場にあるということです。

まだまだ、実現には多くの壁が立ちはだかりますが、日本から世界に食の魅力、市場の魅力を発信する日本の新たらしい賑わい施設として、なんとしても実現させたいと考えています。

 東泰規

好い加減な、いいかげんさを!

あけましておめでとうございます。

年明けのNHKの若者による深夜の討論番組で、少子高齢化、グローバル化のなかで大きなパラダイムシフトが進む日本の進路についての議論がされていました。学者を中心とした抽象的で理想論的な、あえて結論を導きださない議論のなかで、「行政はトップランナーの後追いでいい」という発言が印象に残りました。
結果を求められない役人からはリアリティのある方向性を示すことは難しい。むしろそれは現実と戦っている民間の人たちがそれぞれの分野で捻出されたアイデアや手法が進むべき方向性を示すものだ、ということだと思います。
しかしながら、新しい方向を目指す民間には多くの行政の壁が立ちはだかります。政策よりも硬直的にコンプライアンスを優先したり、個性、特性を無視して一律に規制をかけるルール運用など、本来の目的よりも、手段やプロセスが目的となってしまっているのが現実です。
日本人は一度決めたルールはとても厳格に運用するという点で極めて優秀かもしれませんが、様々なイレギュラーな事項に対して、ルール策定の時の主旨に立ち戻って独自に判断することを放棄しています。また、ルールは完璧ではないのですから、どんどん変えて行くべきです。間違いを非難するのではなく、常に次のステップに進むためのトライであると考えるべきでしょう。
重箱の隅をつつき責任を追求する社会ではなく、好い加減ないいかげんさが許される寛容な社会が求められています。しかしそれは甘い社会ではなく、自ら考え、判断するより厳しい自律的社会への移行を意味するものです。

我々も建築デザインやまちづくりにおいて、常にこのような壁と対峙しています。しかし新しい方向性を示す為には不可避なことでもあります。そこを突き破るのは楽観的に、好い加減ないいかげんさでしつこく継続して提案していくしかないかと思っています。

今年も前進あるのみです。

東泰規