2018年02月12日
重ね地図でみる江戸時代の東京
私がいつも行っている散髪屋さんは今年で200周年!つまり1818年文政元年創業であることを昨日知りました。現在も営業している理容室では最古だそうです。今の店名はアルファベットで、庶民的な価格なので、そんな格式ある理容室とはつゆ知らず通っていました。
東京は戦争で建物は焼失し、街並みの歴史性は分断され、現代に生きていると江戸時代のレイヤーの上に現代のレイヤーが重なっていることを忘れてしまいますが、東京には江戸時代から続く庶民の文化があることを気付かされた次第です。
昨年から浅草橋や蔵前などの下町での仕事が増え、江戸時代はどんな所だったのだろうという興味が湧いて来て、江戸時代と現代の地図を重ねて見る地図を購入し、調べ始めています。その結果、今計画中のホテルは有名な武将の屋敷であることが判明しました。この歴史をデザインに生かせないかと考えているところです。
江戸時代の地図を見ていて面白いと思ったのは、日本橋から銀座、新橋まで庶民の街が南北に連続し、その両側が運河を挟んで武家屋敷でサンドイッチされていたということです。武家に必要な職人や商品を扱う庶民の街がすぐ近くににあった方が便利。また、万一の防犯対策として庶民の街との間に運河を設けたということでしょうか。そう考えると、都市計画的な視点が垣間見れます。
残念なのは江戸時代の水路の多くが無くなったり、高速道路となっていることです。門前仲町付近の地図をみると今からは想像もつかないほど、水路が張り巡らされています。どんなウォータフロントだったんだろうと空想が広がります。
今東京の街は水辺に対して裏を向けていて、とてもつまらない水辺空間となっています。オリンピックがそれを変えるきっかけになれば良かったんでしょうが、もう間に合わないですね。しかし今後へ時間をかけても水辺の再生をしていくべきでしよう。