北京の中国人民大学で授業を行いました。

1月19日北京の中国人民大学芸術学院(芸術学部)で、日本で企画しているプロジェクトの延長として、色彩で町並みを整備し活性化させる、というテーマで、社会人学生を中心にワークショップを行いました。

北京の大学でワークショップを行いました。

1月19日北京の中国人民大学芸術学院(芸術学部)で授業を行いました。

日本で企画している地方の衰退が著しい温泉街を現代アートで活性化するプロジェクトの延長として、色彩で町並みを整備し活性化させる、というテーマで、社会人学生を中心にワークショップを行いました。

日本の食や民家、工芸品など、日本では伝統的にはナチュラルな素材が色彩を構成していることを説明したあと、周辺の自然環境の写真もみてもらい、中国人からどんな提案が出るか興味津々でした。

衰退著しい町を活性化させるには、現代アートを使った派手な客室や温泉にしないと活性化なんて出来ない!戦略が必要だ!、という中国人らしい?アグレッシブな提案に対して、そんな気持ちが休まらないような所には行きたくない!、という反論が続出したのには少し驚きました。その学生達の提案は落ち着いた色彩を基調にアクセントポイントとしての色も驚くほど控えめでした。

中国の高鉄(新幹線)の名前は“和谐”。日本語では調和という意味です。前中国政権の志向する意味は少し異なるかもしれませんが、豊かになった中国では行列に並ぶことも普通になりつつあり、少しずつ国民の意識も変わりつつあるようです。

東泰規

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賑わいづくりの天才

昨日恒例の築地市場においてマグロの初競りがあり、今年もすしざんまいを運営する喜代村が451万円で落札し、あらゆるメディアで取り上げられました。2年前の1億5540万円からするとずいぶん落ち着いた金額となりましたが、この2年前の初競りが海外メディアが取り上げるきっかけとなり、今や世界に発信する日本の新春のイベントとなった感があります。昨年日本への来訪者がようやく1300万人を超えましたが、築地に行くと外国人の多さに驚きますし、築地の存在がかなり貢献しているのようにも思います。

喜代村が築地場外にすしざんまいを出店したのが2001年です。当時築地を訪れる人が減少するなかで、いきなり年中無休、24時間営業の店を出店したのですから、この発想に驚きます。しかも、いまや築地場外だけで9店舗もすしざんまいがあります。同じ店舗が軒を並べるという発想も一般人の常識を覆すもので、喜代村の木村社長は賑わいづくりの天才と言えるかもしれません。

木村社長と案を練った豊洲新市場に隣接して計画される千客万来施設が、昨年東京都の事業公募で採用され、豊洲の賑わいづくりの為に様々な検討を進めています。豊洲は築地とは対照的に、人工的に計画された近代的な市場であり、築地場外のようなカオス的な魅力が無いから絶対失敗する、と指摘する方もいます。確かに普通に考えればあの単調で巨大で雑駁な街に、築地場外の賑わいを創り出すのは極めて難しいでしょう。しかし、木村社長の発想は、商品を媒介とした売る人、買う人の丁々発止が市場本来の魅力であり、これが生まれるような店づくりをして行けば、必ず人が集まってくるという点にあります。大型スーパーなどで失われてしまった商売の原点が市場にあるということです。

まだまだ、実現には多くの壁が立ちはだかりますが、日本から世界に食の魅力、市場の魅力を発信する日本の新たらしい賑わい施設として、なんとしても実現させたいと考えています。

 東泰規

好い加減な、いいかげんさを!

あけましておめでとうございます。

年明けのNHKの若者による深夜の討論番組で、少子高齢化、グローバル化のなかで大きなパラダイムシフトが進む日本の進路についての議論がされていました。学者を中心とした抽象的で理想論的な、あえて結論を導きださない議論のなかで、「行政はトップランナーの後追いでいい」という発言が印象に残りました。
結果を求められない役人からはリアリティのある方向性を示すことは難しい。むしろそれは現実と戦っている民間の人たちがそれぞれの分野で捻出されたアイデアや手法が進むべき方向性を示すものだ、ということだと思います。
しかしながら、新しい方向を目指す民間には多くの行政の壁が立ちはだかります。政策よりも硬直的にコンプライアンスを優先したり、個性、特性を無視して一律に規制をかけるルール運用など、本来の目的よりも、手段やプロセスが目的となってしまっているのが現実です。
日本人は一度決めたルールはとても厳格に運用するという点で極めて優秀かもしれませんが、様々なイレギュラーな事項に対して、ルール策定の時の主旨に立ち戻って独自に判断することを放棄しています。また、ルールは完璧ではないのですから、どんどん変えて行くべきです。間違いを非難するのではなく、常に次のステップに進むためのトライであると考えるべきでしょう。
重箱の隅をつつき責任を追求する社会ではなく、好い加減ないいかげんさが許される寛容な社会が求められています。しかしそれは甘い社会ではなく、自ら考え、判断するより厳しい自律的社会への移行を意味するものです。

我々も建築デザインやまちづくりにおいて、常にこのような壁と対峙しています。しかし新しい方向性を示す為には不可避なことでもあります。そこを突き破るのは楽観的に、好い加減ないいかげんさでしつこく継続して提案していくしかないかと思っています。

今年も前進あるのみです。

東泰規